Aセク、パパになる

恋愛感情・性的欲求を他者に抱かない「アセクシャル」が、結婚して父親になります

アセクシャルは「死ぬまで証明できない」なんて言われるけど、それはどのセクシャリティでも一緒

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「恋愛に興味ない」「セックスに興味がない」などと口を滑らせれば、必ずといっていいほど、皆が口を揃えてこういう。
 
「まだ、いい人に出会っていないだけだよ!」と。
 
アセクシャルの人は、言われた経験が多いのではなかろうか?
 
もちろん、僕もあります。
 
 
まぁ、たしかに「運命の人に出会っていない」だけかもしれない。
 
しかし、それはアセクシャル(無性愛者)に限らずヘテロセクシャル(異性愛者)にとっても同じこと。
 
 
友人に言われた話をしよう。
 
その友人は、僕が誰にも性的欲求を抱いたことも恋愛感情を抱いたこともないことは知っている。
 
その友人は僕に対して
「男とヤってみたら?ゲイだと気づくかもしれんよ?」と言ってきた。
 
僕は
「じゃ、友人君も男とヤってみたら、バイだと気づくかもしれんな」と返した。
 
そうすると「いや、それはない。俺は女が好きだから」と、返してくる。
 
 
んー、論理破綻。
 
まぁ、自分が今後ヘテロセクシャルになる可能性もゲイセクシャルになる可能性も、バイセクシャルになる可能性もゼロではない。
 
セクシャリティは、生まれもって決められるものではなく、時の流れと環境の変化によって揺れ動くものだと自分は思うから。
 
じゃあ、セクシャリティを「変える」ことができるのか?と言われれば、NOと答える。
 
流動性があるなら変えることができると言う人もいるが、「天候」と同じで流動性をもち、「変わる」ことはあるが、人間の力で「変える」ことはできないと思っている。
 
それこそ、個人のセクシャリティの行方は天のみぞ知ることだろうと。
 
反対に、専門家の中にはセクシャリティに流動性は少なく、一生涯変わることがないと論する人もいる。
 
まぁ、そうであったとしても、セクシャリティが変わる可能性がゼロであることは、悪魔の証明であり誰も判断することはできない。
 
つまり、現在、異性愛者を自認していようとも、元から備えているバイセクシャルという性質が今後、顕現する可能性を誰も否定できないということ。
 
たとえ固定的であっても、その動きはまるで流動性を持っているように見える。
だから僕は、セクシャリティは流動性を持つと考える。
 
しかしながら、一度「異性愛者」というカテゴリーに入ってしまった人は、そこから抜け出そうとしない。
 
「多数派同調バイアス」が掛かっているからだろうか。
 
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多数派同調バイアスとは、多数派の意見や言動に同調してしまうという心理的行動原理のこと。
 
特に日本人は、国別ジョークでも例えられる様に、他人の意見に同調し、周りに流される人が多い気がする。
 
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という標語(?)があるように、その選択が間違いであっても、多数派の言動が「正しいもの」と錯覚してしまうのも、日本人に多いのではないだろうか。
 
小さいころから、「みんな○○だよ?」「○○しているのは君だけだよ?みんなに合わせなさい」と教育(?)を受けてきたのでそれは仕方がないのかもしれない。
 
言い訳をする時も、「みんなやっている。なんで自分だけ?」といい。自分の欲を叶えたい時も「みんな○○持ってるから」とねだり。周りと違うだけで、一個人を集団で叩くその姿は、多数派=正義である、と身体の隅から隅まで染み込んでいるからだろう。
 
 
とにかく、日本ではマジョリティ=強者・正義、マイノリティ=弱者・悪という構図が根強く浸透してしまっている。(弱者・悪と矛盾していそうだけど、両者は同居する)
 
マジョリティ=多数派、マイノリティ=少数派という意味しか持たないのにね。
 
 
「普通でないといけない」という教育によって、自分が「普通でいること」、つまり日本においては、多数派に属すことにこだわる必要がある。
 
この多数派=正義という思い込みってのが結構面白くて、宗教の縛りがない日本で、なぜセクシャルマイノリティ差別が起こるのかというと、
 
マイノリティが増えれば、自分の属する多数派コミュニティが縮小してしまうからじゃないか?と考えた。
 
つまり、自分が属する多数派集団から少数派集団に人が流出すれば、自分がマイノリティ側になる可能性があるため、それを阻止するためにマイノリティ差別をするのではないか?ということ。
 
または、自分がマジョリティ側にいることの証明として、マイノリティを迫害するのではないか?ということも考えられる。
 
一旦マイノリティ側に回れば、何をされるか自分達が一番良く分かっているから、マジョリティに居ることに躍起になる。
 
多数派に属するというアイデンティティーの取得は、自分1人では実現できないから面白いよね。
だから、人の言動についてもとやかく言う人がいるのか。
自分の普通を守るために、他人にもその「普通」を強要する。
 
 
というか、そもそも「普通」ってなんだろうか。
 
 
結局は「一般的」「普通」「平均的」=「多数派」という意味で、普通であるから「正しい」とか普通じゃないから「間違い」という訳でもない。
 
ただ、多数派同調性バイアスによって、多数派であることが「正しい」ことと錯覚してしまう。
 
正しくあるために「多数派」に属したがる。
そのため、自分の属する「正しい」コミュニティを守るために、多数派から抜け出す人を迫害し、普通を強要する。
 
それがいわゆる差別というものになるのかな?と思う。本人たちは差別していることに気づいてないと思うけど。
 
 
最近ごくたまーに、LGBからも「人間は人に恋をするもの、性的欲求を抱くもの。Aセクはおかしい」的な言葉も頂くんだけど。
(LGBの人はAセクにも理解がある人が多いというのは強く言っとくけど。)
 
これも結局は、マジョリティ側にいくためにマイノリティ内でのマイノリティ見つけて、迫害しているだけなんだよね。
 
でも、たしかにこれでなんか、LGBも多数派になった気がしない?
 
人を愛する、人に性的欲求を抱く。異性愛者との共通項を見つけることによって、多数派に食い込む。
 
異性愛者も、「人に恋する・性的欲求を抱く」という共通事項による多数派コミュニティの強化にも繋がるから、否定する必要もないしね。
 
多数派なんて関係なしに、ひとつひとつのマイノリティを尊重できる様な社会になればいいんだけど。まだまだ難しそう。
 
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状況的同性愛者という言葉がある。
同性ばかりの学校や軍隊等々で、本来は異性愛の性質を持っている者が、満たされない欲求の代償行為として、同性に対して性的欲求や恋愛感情を抱くというもの。
 
しかし、さっきも言ったように、本来のセクシャリティの証明は、悪魔の証明になるため不可能。
 
つまり、本質的な異性愛者だったものが一時的に「状況的同性愛者」になったのか、それとも本質的に同性愛者(もしくは両性愛者)であるかの判断は不可能ということ。
 
一時的なものなので、同性ばかりの空間から異性を得られる状況になったら、本来の性質に戻るのが「状況的同性愛」らしいが、
それ自体も、元の性質に戻ったのか、もしくは元の性質が同性愛から異性愛に変わったかの判断もできない。
 
難しいよね、セクシャリティは。
 
あと、「状況的同性愛」という言葉があるなら、「状況的異性愛」という概念もあるはずと考えた。
 
LGBTという言葉は、だいぶ日本に浸透してきたけど、まだまだ社会的に完全に存在を認められているとは言いがたい。
 
クローズドな人が、カミングアウトしない理由として、やはり日本はまだまだカミングアウトできる土壌が整っていないことも理由の一つだと思う。
 
たしかに、表面上は寛容であっても内ではホモフォビアである人も沢山いると思う。
 
そう、だからこそ「本質的には同性愛」という人が、このLGBTが認められない社会の状況において、一時的に「異性愛の性質を持つ」ようになったという可能性もある。
 
例えばゲイセクシャルの性質を持つ人が、上記の社会的状況を理由に、男性ではなく女性に性的欲求を持つことだって考えられる。
周りからは一見、異性愛者に見えるかもしれないけど。
 
実際に、ホモフォビア中には、性質的に同姓愛者である人も一定数存在する。
 
だからこそ、普通(マジョリティ)である異性愛者でいることにこだわり、一般人より異性遊びが激しい人もいるかもしれない。
それこそが自身の同性愛という性質を否定することに繋がるから。
 
 
また、「同性愛を否定する」ことを否定して欲しくて、あえて同性愛者を差別する言動をしている可能性もある。
 
「同性愛を否定するなんて最低だな」という言葉によって、自分の同性愛という性質を肯定されるから。
特に匿名でできる提示番やSNSにはそういった人も多いだろうね。
 

まとめ

 
んー、なんの話だったっけ?(笑)
いつのまにか、話が思わなかった方向に飛んでる。(いつも通りっちゃいつも通り)
 
とりあえず言いたいのは、
誰にも性的欲求を抱かない、恋愛感情を抱かないアセクシャル(Aロマ・Aセク)を証明するのは悪魔の証明であり、不可能。
 
しかしながら異性愛者も、今後は同性愛者になる可能性や両性愛者になる可能性、その他のセクシャリティに変化する可能性がゼロであることを証明できない。
 
なので、もし今後「アセクシャルを証明してみて」と言われたら、「あなたが両性愛者でない証明をしてみて」と言い返せばいい。
 
それは死ぬまで証明できないから。
 
 
 
さて、なんやかんや言ったけど、
 
結局は多数派=正義という無意識のレベルでの刷り込みが、今の息苦しい日本社会を作りだしているのではないか?と思う。
 
なぜ、セクマイ差別が起きるのか。
「差別をやめろ!」といって、簡単に解決する問題ではない。
 
セクマイを理解できない人、差別をしている人も苦しんでいるから。
だからといって、差別をしていいわけではないし、迫害していいわけではない。
 
ただ、理解出来ない人を根本的に救うことによって、結果的にマイノリティも救われるのだと、僕は思うけど。
 
どうすればいいか、それはまだわからない。