Aセク、パパになる

恋愛感情・性的欲求を他者に抱かない「Aセクシャル」が、結婚して父親になります。自分なりの幸せを見つけて、実現する過程を書き綴るブログ。

アセクシャル、みんな「Xジェンダー」説

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アセクシャルとXジェンダーには、相関関係があるのではないか?と思う。
 
ツイッターやブログ等々で「アセクシャル」と「Xジェンダー」という言葉が、双子の様に並ぶのを良く目にする。
 
それを「全く関係がない」とするのは少々無理がなかろうか。
 
僕自身、世間的には男性ではあるのだけれど、そもそも性別を意識して生活することはない。
 
Xジェンダーか?と尋ねられたら確信を持って「YES!」とは言えないが、確信を持って「男性である!」とも言えないのだ。
 
 

Xジェンダーってなんぞや?

 
ウィキから引っ張ってきたけど、Xジェンダーを簡単に言うと、男女のどちらの性でもないという立場をとる人のこと。
ちなみに日本でしか通じない。
 
タイプは色々あって、大きく中性・両性・無性・不定性の4つに分けられる。
中性は自身のジェンダーが、男女の性別の中間に位置していると考える人。
両性は自身のジェンダーが、男女どちらの性であると認識していると考える人。
無性は、男女どちらの性でもないと考えている人。
不定性は、自身が思うジェンダーが、揺れ動いている・定まらない人のことを言うらしい。
 
もちろん、これ以外にもXジェンダーの概念に当てはまる性自認はあると思うけど。
 

自分のジェンダーは「女性ではない」

 
さて、僕自身は男性性で今世を生きているが、特に「男性である」と思ったことはない。
 
たまたま、男性を模した身体に入っているだけ。
言われるがまま、他人による分類でいつも気がつけば「男性側」にいた。
 
そして、この身体を持ったことや周囲から男性として見られることに違和感や嫌悪感はない。
男性の役割を押し付けられれば、すんなりとこなせるし(まぁ、男性の役割って特にないけど)、男性を演じることも容易にできる。
 
 
女性みたいに月に一度訪れる、強制的に女性を感じさせる出来事もない。
まぁ、たまに性的衝動はあるけど、頻度も濃度も薄いし、それ自体が男性を感じさせるものでもない。
 
性的に男性として見られることも女性に比べて少ないので(仮に性的に見られても反抗できるので)、特に性嫌悪感もない。
ただ、他人から恋愛としての「男性」を求められるとちょっと困るくらい。
 
つまり男性の身体でいることや、周囲から男性性を求められることにほとんど不満がないので、今まで反発して来なかった。
 
でも、本心で語るとするならば「自分のジェンダーは男性です!」とは言えない。
はっきりしているのは、「女性ではない」ということだけ。もっと噛み砕いて言えば、「社会的に女性に見られたくない」と言えるか。
 
なので、男性の身体を持っている僕が男性を演じておけば「女性」とは見られないので都合が良い。
 
たしかに、性二元論という社会規範のある世の中においては「女性ではない」ということは「男性である」となるわけだけど、自分自身のジェンダーは恐らく「無性」で、ただ幸運なことに今の男性性の身体に違和感や嫌悪感がないだけだと思っている。
 

Xジェンダー消極型(受容型)

 
Xジェンダーには、質による分類があるらしい。以下wikiから引用
 
過渡型とは、男性あるいは女性のアイデンティティを持ちたいのであるが、現段階ではまだ自信が持てないため、明確に女性あるいは男性と自己定義できず過渡期にあり、現状では両性やどちらでもない性別であると自己を見なすありようである。
揺曳型とは、ジェンダー・アイデンティティが揺れているので、男性でも女性でもなく両性やどちらでもない性別であると自己を見なすありようである。
積極型とは、自己が規定されないジェンダー・アイデンティティであることに積極的な意味を見出しており、Xとしてのあり方を模索しているありようである。
 
さて、自分がもしXジェンダーであるとすれば、どの型になるのか?
男性・女性どちらかのアイデンティティを持ちたいわけでもなく、ジェンダー・アイデンティティが揺れているわけでもなく、自分のジェンダーアイデンティティは規定されない!既存のジェンダーに囚われたくない!という強い想いもない。
 
「男性」という身体・性に嫌悪することはなく、ただ「女性」でなければ何でもいい。
つまり、出生時に割り当てられた性別を「受容」できる。そもそも性別に興味がない「消極」的な考えであるため、消極型・受容型ともいえるのか。
 
「出生時に割り当てられた性別に違和感・嫌悪感がなければXジェンダーではない!」という意見もあるだろうけどね。
 
だけど、流されるまま出生時に割り当てられた性別を受容している人は結構たくさんいると思う。
 
反発するほど嫌ではないから、そのまま受け入れているだけで。そして、意識することもないので「自分はXジェンダーかもしれない」とも考えないのだろう。自分の様に。
 

性別の概念がないから性愛対象がいないのか

 
アセクシャルは「性的欲求が他者に向かない」のは共通事項だろうが、性的衝動(リビドー)自体がないからAセク、性愛の概念がないからAセク、性的欲求を向ける人に会っていないからAセク、性的欲求を他者に向けたくないからAセク等々、一言でアセクシャルと言っても色々なタイプがあると思っている。
 
僕自身はそもそも「性愛」という概念が分からない。
だから、女性や男性の裸体を見ても、他人の性器を見ても、他人が性交をしている姿を見ても特に何も感じない。
それによって性的衝動が生まれたりするわけでもなく、嫌悪感を抱くわけでもない。
 
動物の裸体や交尾を見ているのと同じと言えば分かりやすいか。
 
とりあえず、「性的に惹かれる」の意味が分からないのだ。
 
それはそもそも「性別」の概念がないからではないかな?とも思う。
つまり、性別の概念がないため世間の「性別によって、愛し方が違う」「異性(同性)に性的欲求を抱く」という意味がわからないのだと感じる。
 

男女の友情が成立するのは自分がXだからか

 
「男女の友情は成立しない」という人がいる。
 
「そんなわけあるか、普通に成立するやろ。。。。え、まじで?成立せんの?」というのが正直な感想。
 
世間一般的には、「男女の友情は成立しない派」の人間が多いと思うので、僕は女性(と思われる人)と二人で遊ぶことは極力避けていた。
それは周囲が「二人は特別な関係である」という勘違いを防ぐため。
 
それさえなければ、性別関係なく色んな人と交流したいとも思える。
 
ただ、そう思うのはやはり、自分が「男性ではない」という証明なのかもしれない。
男性性を自認している人からすれば、本当に女性との友情は成立しないと思っているのかもしれない。
 
 

異性愛者や同性愛者より、両性愛者・全性愛者の方が理解できる

 
Aセクシャルの反対は両性愛者・全性愛者とはよく言われたりする。
僕自身は他者に性的欲求や恋愛感情を抱くことはないので、すべての性愛者・恋愛者の気持ちを知ることはできない。
 
しかしながら、この世に性的感情や恋愛感情というものが存在していることは知っている。自分に訪れないだけで。
 
ただ、その感情がなぜ「異性限定」だったり「同性限定」だったりするのか。
異性愛者や同性愛者の気持ちを推し測るのは、両性愛者や全性愛者の気持ちを知るよりも遥かに難易度が上がる。
 
いや、むしろ恋愛感情や性愛感情は今となってはしっかりと理解できているが、異性愛・同性愛を理解できていないのかもしれない。
 
なので、どちらかといえば僕は、「無性愛者」の反対は「異性愛者・同性愛者」だと思っている。
 
また、恋愛感情や性的欲求を抱くのは一人だけ。というのもよくわからない。
 
自分自身、友情や愛情は他人に抱くが、それが一人だけということはない。
なのでより、世間が認知している「恋愛」という概念を読み進めるのに時間が掛かる。
 
そういった点ではポリアモリー(多性愛)の人のほうが理解しやすい。
 

まとめ

 
タイトルに掲げといてなんだが、アセクシャルが皆Xジェンダーだとは思わない。
男性自認・女性自認でアセクシャルの人も、もちろんいるだろう。
 
しかしながら、多くのAセクシャルの人はXジェンダーでもあるのかもしれないとは思う。
それは、「既存のジェンダーに囚われたくない!」という積極的な想いはなくとも、「性別を意識せずに生けれたらいいのに」と思う人が多いという意味で。
 
女性にAセクシャルが多いのは、女性性で生まれた人は、女性というだけで「役割」を押し付けられたり、期待されたり、消費されたり、より強く「社会的に女性として見られたくない」という気持ちが出て来るからかもしれないとも思う。だからAセクシャルだと気が付きやすい。
そして、無性愛と同時に「性嫌悪」の性質を持つことが多いのもそのためだと思う。
 
男性性は、性的欲求がなければ無性に近い性別だと思うし、女性に比べて特に不利益を被っているわけでもないと客観的にも感じる。故に、「このままでもいいか」と、特に声に出さずとも、Aセクシャルだと表明せずとも生きていける。
 
 
いや、むしろ日本人はXジェンダーやアセクシャルが、顕現していないだけで実は多いのではないかと思っている。
 
恋愛欲求、性的欲求。それらはなんというか、「狩猟」に近いものを感じる。
 
童貞や恋愛経験のないものをバカにする風潮は、狩りをしたことがない、狩りが下手くそな人をバカにしている様に思える。
 
しかしながら、日本人は元々は農耕民族であり、そもそも狩りをする必要性は高くなかった。
むしろ、生物を慈しみ、敬い、時間と愛を持って育むことを得意としていたはずだ。
 
故に、恋や性的欲求から生涯のパートナーを選ぶ「恋愛結婚」というものよりも、お見合い結婚という制度が日本では一般的だったわけだ。
 
恋愛結婚が普通になってしまった現在。
空気を読んだり、周りに合わせる国民性だと言われる日本人は、よくわからないまま周りに合わせて「自分も恋愛するんだ。」と思い込んでいるとさえ感じる。
 
農耕民族が無理にやり方の分からない狩猟に手を伸ばしてしまった結果、恋愛に踊らされ、性的欲求をはき違えたりしているのではないか?
そして、慣れない狩猟の対象になることに嫌悪感を抱いてしまうのではないか?
そう思ってしまう。
 
 
無理に恋愛を頑張らなくていいし、無理に異性に性的欲求を抱かなくてもいい。
狩猟が下手くそでも、誰かの狩られる対象にならなくてもいい。
 
自己でもいいし、他者でもいい。一つの生物に時間と慈しみ、敬いの心を持って接することで「愛」を育むことの方が得意な場合もある。
 
気付くのは遅かったが、自分はそうだった。
あなたも、もしかしたらそうかもしれない。