Aセク、パパになる

AロマAセクが何か言います

アロマンティックに、性自認は関係あるのか?-アサクラさんへの回答-

はじめまして。とても丁寧なご回答、そして皆さんが真剣に自分に向き合っている姿が素敵だと思い、私も相談させていただくことにしました。

 

アセクシャルであることはほぼ確信しているのですが、今回、アロマンティックであるかもしれないと思った理由にXジェンダーの話が関係しているため、その点も含めて考えていただけると幸いです。

 

今まで女性として生きていくなかで、それほどには生きづらさを感じたことはないのですが、時々違和感を感じるとき、事柄がありました。

それは、

・ファミレスでのバイトの制服(男女で違っていました)

・成人式の振り袖

・結婚式のウエディングドレス・白無垢

・就活でヒールのある靴をはかなければならないこと

 

などです。これらのことを考えていると、これらは「性別によって区別されているもの・こと」だと気づきました。

しかし、実際に男性として扱われることを望んでいるわけではないため、自分のなかでは自分はXジェンダー(無性)なのではないかと思っています。

 

話は変わりますが、恋愛ドラマや恋愛小説は好きで、趣味として楽しんでいます。しかし、いざ自分が恋愛の当事者となるところを想像すると、とたんに違和感や嫌悪感を感じることを自覚しました。恋愛をしている自分に違和感や、親密になった後に恋人同士がするような行為に嫌悪感を感じてしまうのです。

自分が過去に恋愛感情であると感じていた感情は、

本当に恋愛感情だったのか、と自問すると、そうであるようなそうでないような感覚がします。しかし、突き詰めて考えると、綺麗なものや自分の好みのものを「好きだな」と感じて、その事をもっと知りたい、というような、美術品や小説に対して抱くような憧れの気持ちに近いような印象がします。

恋愛ドラマによくあるような、自分が気になっている人を、他人に意地悪をしてまで独り占めしようとしてしまうい人の気持ちも分かりません。別に、他の人と仲良くしていたとしても、自分も関わりを持てるならそれでいいのではないか、と思ってしまいます。

もちろん自分のなかには人類愛のような好きの感情はあって、個々人で多少の違いはあるものの、恋愛と呼べるものはないと思っています。

 

恋愛に嫌悪感を感じてしまう1つの可能性として、自分が女性として好きになられることで(恋愛・性的指向は人それぞれですが、どのような自認であっても私という存在を外形的に見たときには女性として分類されてしまうため)自分の性自認に対する違和感が恋愛に対するものに置き換わっていしまっているからではないか、ということです。

 

このようにして、結局自分はアロマンティックなのかそうでないかを一向に判断できないで悩んでいます。このことについてアドバイスがいただけるとと嬉しいです。はじめまして。とても丁寧なご回答、そして皆さんが真剣に自分に向き合っている姿が素敵だと思い、私も相談させていただくことにしました。 アセクシャルであることはほぼ確信しているのですが、今回、アロマンティックであるかもしれないと思った理由にXジェンダーの話が関係しているため、その点も含めて考えていただけると幸いです。 今まで女性として生きていくなかで、それほどには生きづらさを感じたことはないのですが、時々違和感を感じるとき、事柄がありました。 それは、 ・ファミレスでのバイトの制服(男女で違っていました) ・成人式の振り袖 ・結婚式のウエディングドレス・白無垢 ・就活でヒールのある靴をはかなければならないこと などです。これらのことを考えていると、これらは「性別によって区別されているもの・こと」だと気づきました。 しかし、実際に男性として扱われることを望んでいるわけではないため、自分のなかでは自分はXジェンダー(無性)なのではないかと思っています。 話は変わりますが、恋愛ドラマや恋愛小説は好きで、趣味として楽しんでいます。しかし、いざ自分が恋愛の当事者となるところを想像すると、とたんに違和感や嫌悪感を感じることを自覚しました。恋愛をしている自分に違和感や、親密になった後に恋人同士がするような行為に嫌悪感を感じてしまうのです。 自分が過去に恋愛感情であると感じていた感情は、 本当に恋愛感情だったのか、と自問すると、そうであるようなそうでないような感覚がします。しかし、突き詰めて考えると、綺麗なものや自分の好みのものを「好きだな」と感じて、その事をもっと知りたい、というような、美術品や小説に対して抱くような憧れの気持ちに近いような印象がします。 恋愛ドラマによくあるような、自分が気になっている人を、他人に意地悪をしてまで独り占めしようとしてしまうい人の気持ちも分かりません。別に、他の人と仲良くしていたとしても、自分も関わりを持てるならそれでいいのではないか、と思ってしまいます。 もちろん自分のなかには人類愛のような好きの感情はあって、個々人で多少の違いはあるものの、恋愛と呼べるものはないと思っています。 恋愛に嫌悪感を感じてしまう1つの可能性として、自分が女性として好きになられることで(恋愛・性的指向は人それぞれですが、どのような自認であっても私という存在を外形的に見たときには女性として分類されてしまうため)自分の性自認に対する違和感が恋愛に対するものに置き換わっていしまっているからではないか、ということです。 このようにして、結局自分はアロマンティックなのかそうでないかを一向に判断できないで悩んでいます。このことについて

>>アサクラさん
コメントありがとうございます。


まず、「他者に対して恋愛感情を抱かない」のであればアロマンティックと言えると思います。
性嫌悪あるなし、個人のジェンダー等は直接的には関係はないです。


ただ、性自認の不安定さが、恋愛嫌悪・性嫌悪に繋がっているのではないか?アロマンティックに繋がっているのではまいか?という見解はすごく理解できます。


私も実はXジェンダーではないか、と思ったことはあります。

 

アセクシャル、みんな「Xジェンダー」説 - Aセク、パパになる

 


私も恋愛感情を向けられるのが苦手なのですが、その理由に「男性性を期待されている」というのがあるかもしれません。


恋愛感情・性的感情を向けられる時、「自分個人」を見られていないような、自分を通り越してただの男性として消費されているような、
はたまた私のアイデンティティが壊されて、相手を装飾するマスコットや洋服に成り下がり、相手はそれらを身に着けた鏡越しの「自分自身」を見ているだけ。
未だにうまく言葉にすることのできない感情を恋愛感情を向けられた時に感じていました。
そして、それが恋愛嫌悪を持つ要因となっていたと思います。


もしかしたら、私も性自認が「男性」と確定自認できていたなら、感じ得なかった感情だったかもしれません。


むしろ男性を感じさせる恋愛や性愛を求めていたかもしれませんね。


今は、自分の人生に恋愛や性愛は必要なかったと結論が出ていますけどね。


以上、参考までに