来春にパパになることが判明しました、なかたつです。どうも。
10代の時から子どもが大好きで、早く父親になりたいと強く思っていたので、妻から妊娠を告げられた時はとても感動しました、素直に嬉しかったです。
やっと父親になれるのかと。
普通の男性も自分の子ができたら感動するんでしょうが、僕の場合はまた事情が違います。
というのも、僕が「アセクシャル(無性愛者)」というセクシャルマイノリティだからです。
アセクシャルって何?
まず、アセクシャルという言葉を初めて聞かれる方も多いかと思うので簡単に説明しましょう。
アセクシャルとは、「他者に性的欲求を抱かない性質」また「他者に性的欲求を抱かない性質を持つ人」のことを指します。
つまり、性的に誰も好きにならないということですね。
異性愛、同性愛、両性愛に次ぐ第四の性的指向として、海外の研究者は位置付けています。
自分の場合は、アセクシャルに加えて、アロマンティックという性質も持っており、誰にも恋愛感情を抱きません。
海外では、他者に恋愛感情と性的欲求を抱かない人を「アロマンティック・アセクシャル」とカテゴリー分けされていますが、日本では他者に恋愛感情と性的欲求を持たない人を「アセクシャル」恋愛感情は抱くが、性的欲求は抱かない人を「ノンセクシャル」と表現することが多いです。
詳しくは、こちらの記事を読んで頂ければと思います↓
「結婚してるってことは、恋愛感情・性的欲求を持ってるってことでしょ?」という声が聞こえてきそうですが、僕は妻に対しても恋愛感情を持っていませんし、妻に性的欲求も持っていません。
不思議ですか?
それでも妻を愛してる
たしかに、妻に対して恋愛感情や性的欲求を持っていませんが、妻のことは心から愛しています。ずっと一緒にいたいと思います。
僕の子どもを宿してくれて、その愛しさはとどまることを知りません。
ですが、恋愛感情はありませんし、性的欲求も持っていません。
というか、そもそも結婚に「恋愛感情」って必要ですかね?
いらないよね?
だって昔はお見合い結婚が一般的だったんだし。結婚に恋愛が必要なのであれば、お見合いなんてものなかったでしょうよ。
というか、結婚という制度自体、「恋愛関係」の最上位に位置する状況ではなく、ただ単に「子どもを育てやすくする」制度だと思っています。
- 夫婦同姓
- 共同親権
- 相続権
- 遺留分
- 配偶者控除
- 遺族年金
等々を見ても、恋愛関係の二人を支援する制度とは思えず、やはり子どもを育てやすくする制度だと感じます。
僕自身も「子どもを育てるための下準備」として結婚を考えていました。もちろん、制度の下、妻とずっと一緒にいたいという気持ちもありますけどね。
あと、日本ではお見合い結婚よりも、恋愛結婚の離婚率の方が格段に高いです。
それは、結婚の制度を「恋愛関係の二人が目指す最高峰」という解釈によって引き起こされるのではないかと、勝手に思っています。
「恋は3年で冷める」とも言われますが、恋自体が正常な状態ではなく、一種の狂酔状態だから、そんなことになるんじゃない?と感じます。
まぁ、とりあえず、結婚自体に恋愛感情など必要ない、むしろ邪魔なだけだと僕は思います。
性的欲求がなくても親になれる
「性的欲求がないのに、子どもができるってどういうこと?」と思われるかもしれませんが、むしろ「性的欲求の解消の行為で、子どもができるってどういうこと?」と僕は疑問に思います。
もちろん、学校で保健体育を履修していたので、子どもを作る方法は知っています。
しかし、その行為自体が「性欲のはけ口としての行為と同じ」ってのは少々理解が難しいです。
ただ、「性的欲求の解消としての行為によって、子どもができることが良し」とされる時代はあったと思います。
それは、子作りの知識がなかった時代。もっと言えば、人間が猿だった時代、原始時代などです。
種の保存、繁栄するためには、子どもを作るが必要があることは誰もが納得するでしょう。
そのためには、子どもを作る行為をしなければならないのも事実。
しかし、その時代の人が皆、アセクシャルの性質を持っていたら、、、
行為自体になんの必要性も感じず、興味もなく、そして子どもができることはなく、種は滅びてしまうでしょう。
そのため、性欲という欲を持たせ、その解消のための行為と子をつくるための行為をリンクさせたのだと思います。
その時代の人は、「子どもが欲しいという欲」ではなく、ただ単に「自らに生まれる性的な欲を解消したい」がために、行為に及んでいたと考えられます。
もちろん、それ自体は不思議とは感じません。とても、合理的だとも思います。
しかしながら、今の時代に「性欲の解消のための行為によって子どもができる」ってのは、どうなんだろう?と考えてしまうということです。
先程も言いましたが、保健体育の授業によって、僕らは子どもを作るための知識は備えることができます。
なので、「子どもが欲しい」という欲によって、行為に及ぶことができる様になりました。僕もその一人です。
しかし、子どもが欲しくないにも関わらず、性欲の解消のために性的行為をする人もいます。
それ自体は悪いことではないんですけど。
その結果が、育児放棄、旦那の子育て不参加、ヤリ逃げ、強姦、セクハラ、中絶等々の問題が吹き出ているのではないか?
と、思うわけです。もちろん、性的欲求の解消のための性行為をする人の全員が、問題を生んでいるわけではないですし、常に性的欲求の解消のための行為をするわけではないことは分かっています。
もし、皆がアセクシャルの性質を持っていたら、上記のような諸問題は、一気に解決する、無くなるんじゃないか?ということです。
ですが、「性的欲求を持たないアセクシャルはおかしい」と言われます(苦笑)
どっちが正しいとか、正しくないとかは言いません。性愛者、無性愛者のどちらも正しいものだと思います。
まとめ
さて、なんか難しい話になってしまいましたけど、僕が言いたかったのは
恋愛感情を抱かなくとも、生涯一緒にいてくれることを誓えるパートナーはできる。
性的欲求を抱かなくとも、親になることはできる。
子どもができたー!!いえーい!!
めっちゃ楽しみー!!早く会いたい!!
ってことです。
10代、20代前半の頃、僕は異性に恋愛感情と、性的欲求を感じないことから、親になるということを諦めていました。
恋愛感情のない関係性では、パートナーを繋ぎとめることは叶わないだろう。結婚することもできずに、一生一人で生きて行くのだろう。
性的欲求がなければ、子どもを作る行為もできずに、自分の子どもを腕に抱えることも叶わないのだろう。
と思いながら、味気ない日々を消化していました。
しかし、恋愛感情がなくても関係を維持できるパートナーを見つけ、結婚し、子どもができたとの報告を妻(パートナー)から受けました。
諦めていた夢が、今は手に取れるところにあります。
僕の世界にようやく色が付き始めた。そんな感覚です。
とりあえず、アセクシャル目線での結婚生活、子育てなどをこのブログでは発信していきます。