歌詞に「共感」できるかどうかという点は、ヒットする曲にとって重要なことだと思う。
ラブソングが人気なのは、やはりその歌詞と似た状況に多くの人があるからだと感じる。
好きな曲のリストは「リズムが好みである」という一点だけで構成されている自分。
歌詞は重要視しない。というよりかリズムに乗せるただの音としか認識しておらず、意味なんて考えたこともなかったし、覚えもしない。
だけど、official髭男dismの「pretender」については違った。
歌詞が頭の中にすんなり入ってくる。
意味を辿っていくに度に、高校時代の彼女を思い出す。
それは、その歌詞の内容が自分の経験に似ているからだろうと思う。
この歌は、人によって歌詞の解釈が違うらしい。
・片想いの歌
・叶わない恋の歌
・不倫の歌 などなど
だから自分も自分なりの歌詞の解釈をしてこの曲を聞いている。
このは、恋人のふりをする者の歌。他者に恋愛感情を抱かない「Aロマンティックの歌」だと思う。
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注意
以下、official髭男dismの「pretender」の歌詞を自分の経験も交えながら独自解釈しております。
もちろん、これが正しいとは思っていませんが、Aロマンティックの自分にはこの様に聞こえています。
※Aロマンティックの人が全て、自分と同じ経験をしている・感覚を持っているとは限りません
無性愛者(アセクシャル)って知っていますか? 僕が自認するまでの経緯を書いていくので、「人を好きになれない」と悩んでいる人にはぜひ読んで欲しい - Aセク、パパになる
人を好きになれない原因は、あなたが「Aロマンティック」だからかも? - Aセク、パパになる
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君とのラブストーリー
それは予想通り
いざ始まればひとり芝居だ
ずっとそばにいたって
結局ただの観客だ
高校時代。特に好きでも何でもなかったけど、相手からの好意に対する答えと、周りからの後押し、付き合えば自分も「恋愛感情を抱けるかも」という期待から、1人の女性とお付き合いをはじめる。
でも予想通り、一緒の時間をいくら作ろうとも、彼女のことを「恋愛感情」として好きになることはなかった。
恋人らしいことをする度に置いてきぼりをくらう。それに気付かない彼女と、気づかせないよう振る舞う自分。
舞台に自分はいない。第三者の視点で、二人を観る。
感情のないアイムソーリー
それはいつも通り
慣れてしまえば悪くないけど
君とのロマンスは人生柄
続きはしないこと知った
「ごめん、急な用事ができた」
会う約束は自分を縛るものだと思えてきた。
だから、適当な嘘で約束を反故にする。
多少あった罪悪感も、嘘を重ねるにつれて薄くなる。
会うのも億劫になる関係。嘘をついてまで約束をなかったことにする関係は、長続きなんてしない。はじめから分かっていたことだけど。
もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
もっと違う性格で もっと違う価値観で
愛を伝えられたらいいな
そう願っても無駄だから
決して、彼女のことが嫌いなわけではない。
ただ、恋愛感情として愛することができないだけ。
だから、兄弟だとか、親子だとか、同性の友達だとか別の関係で出会いたかった。
もしくは、自分に恋愛感情があって、彼女が期待するような甘い愛を伝えられたらよかった。
どちらも叶わないということは分かってる。
誰かが偉そうに
語る恋愛の論理
何ひとつとしてピンとこなくて
飛行機の窓から見下ろした
知らない街の夜景みたいだ
「恋愛」だとか「恋愛テクニック」だとか「恋愛の考え方」だとか、経験者は語りたがる。
自分には、飛行機の小窓から見た知らない街の夜景みたいにおぼろげに写り、輪郭を掴むこともできない。
自分には関係のないことで、ただ通り過ぎるのを待つだけしかできない。
でも、どこかその夜景を綺麗だと思う自分もいる。街に降り立ちたいとは思わないし、降り立つこともできないけど。
もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて
「好きだ」とか無責任に言えたらいいな
そう願っても虚しいのさ
恋愛感情を持てるという設定で、互いに恋愛感情を持っているという関係で彼女と出会えることができたらよかったと思う。
「恋」じゃない「好き」を伝えるのはとても難しかったから。
「恋愛の好き」以外は認められない。
だからといって、自分なりの「恋愛の好き」を伝えても、すぐにその嘘は見破られる。
いつの日か簡単に「好きだ」なんて言えなくなっていった。
何も考えずに「恋」という一つの感情で「好きだ」って言えたらどんなに楽だったか。
でも、それができないから虚しい。
グッバイ
繋いだ手の向こうにエンドライン
引き伸ばすたびに 疼きだす未来には
君はいない その事実に Cry...
そりゃ苦しいよな
好きだけど「恋愛感情としての好きではない」
関係がなくなるは嫌だけど「今の関係は続かない」
とっくの昔に関係は破綻している。だけど、自分が恋人のふりを続けていれば表面上は取り繕うことはできる。
でも、ずっとこれを続けるわけにはいかない。それはわかっているけど…つい終わりを引き延ばしてしまう。
グッバイ
君の運命のヒトは僕じゃない
辛いけど否めない でも離れ難いのさ
その髪に触れただけで 痛いや いやでも
甘いな いやいや
グッバイ
それじゃ僕にとって君は何?
答えは分からない 分かりたくもないのさ
たったひとつ確かなことがあるとするのならば
「君は綺麗だ」
でも、言わなければならない。
このままでは彼女のためにもならないから。
自分は彼女の運命の人ではなかった。ただそれだけのこと。
髪に触れても一つもドキドキしない自分が悔しい。
でも、甘い。これは恋?いやいや。そう思い込んでも虚しさだけが残る。決別しなければ。
結局、恋愛感情を抱けない自分では、彼女の何者にもなることはできない。それが現実。
いまさら「好きだ」なんて言えない。
その一言で引き留めたくないし、恋愛以外の「好き」は認められない。
彼女にはちゃんと恋ができる相手と恋愛をし、その人と永遠を約束して欲しい。
それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな
永遠も約束もないけれど
「とても綺麗だ」
別れも心の葛藤も、恋愛の定め。
周りから見たら、自分の経験も立派な「恋愛」だと思われるだろう。
あえて、否定しない。
「終わったけど。綺麗な恋だった」ということにしておこう。
これで後をひかずに彼女ときっぱりと縁を切ることができる
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あとがき
他人と付き合ったことのあるAロマンティックの人ならば、気持ちを分かってくれるのではないかと思います。
当時は、恋愛感情がなければ結婚もできないし、子どもも授かれないと勝手に思っていました。
今となってはそれは間違いだと分かります。
「恋愛」とは、他人との関係を作るための1つの感情に過ぎず、恋愛以外の情で人は繋がることができます。
もちろん結婚という契約も必ずしも恋愛を経てしなければならないものでもなく、実際に自分は恋愛感情を持たないまま、妻と結婚しました。
恋愛というのは、他人と関係を持ちたいという一点ではとても強い感情だと思うので、それが結婚に向いた感情、というだけだと思います。
しかし、若年の頭ではそこまで考えられません。
また当時それが分かっていたとして、彼女と関係を続けられるかといったら、それはまた別の話。
やはり、同じ恋愛感情を返せないというのは、どこか申し訳なさと虚しさを感じます。
それは、世間では美味と評される食べ物を食べても、無味無臭で何も感じない、そんな虚しさです。
Aロマンティックの人は恋愛市場主義の世界ではそういった感覚を抱きながら生きています。
特に、最近ではLGBTをはじめとするセクシャルマイノリティも世間では認められつつあります。
「誰が誰を好きであろうと構わない」「恋愛に性別は関係ない」
レインボーの色が強くなればなるほど、Aロマンティックは透明に近づいていきます。
恋愛市場を憎むとかそういう話ではなく、「誰にも恋愛感情を抱かない人もいる」
という事実を否定して欲しくないだけです。
そして、そんなAロマンティックにも響くラブソングを作ったofficial髭男dismはすごい!!